★ 私的名馬 タイキシャトル ★
1997、98年、自分のプライベートは明らかに競馬中心に回っていた。
それまで私の趣味の文句無しの主力だったプロレス、格闘技は、
完全に競馬の影に隠れてしまった。なぜか?
答ははっきりしている。タイキシャトルがいたからだ!
ここでは私的には最強、と言うよりも最高であると想う、
"the bottomless"タイキシャトルについて書きます。
★出会い
この馬、実はほんのすこ〜〜〜〜〜〜〜〜しだけ出資してました。
一口50万円(×100口で5,000万円の馬だった。)のうち 5,000円だけ。1/100口馬主。
金額で言うと1/10,000。たてがみ一掴み分位の権利か?
「皆でちょっとずつお金を出し合って、一口馬主になろう!」
という呼び掛けがあり、参加したんですけど、
自分が馬を選べる立場にあったら絶対選んでません、この馬。
父デビルズバッグ。ダビスタ的に言うと早熟、マイラーのダート血統。
はっきり言ってお遊び程度、口では
「朝日杯からケンタッキーダービーですね!」
とか話していても、内心は全然期待してなかったです。
真の目標は根岸ステークス、そんな感じでした。
早熟血統だから「2歳戦が勝負!」と思っていたのに、
タイキシャトルはなかなかデビュー出来ませんでした。
結局年が明け、3歳になってしまいましたが、それでもなかなかデビューしません。
うちの嫁は嫌味たっぷりに「ねえ?あんたの馬いつデビューするの?」
と言い出し初め、事あるごとに「絶対騙されてるんだって!」とのたまってました。
が、幾多のクラブ馬の様に「未出走で終わるのか?」と思い始めた矢先、ついにデビューの話が!
しかし、なんとゲート試験失敗でまたもやデビューはお預けに。
しかもゲート試験落ちたの、1回じゃないんだよなぁ、この馬。
まあ、それでも何度目かの試験でようやく合格し、
何とかデビュー戦を迎える事になったのです。
★デビュー戦
東京第2レース、ダート1600。
ようやく漕ぎ着けたデビュー戦なのに、私、応援に行きませんでした。
だって府中は遠いし(しかも物凄い遠回りのルートしか、知らなかったし。)、雨降ってるし。
馬券も買いませんでした。当事はPATなんていう便利な代物も持ってなかったですから。
おまけに一番近いWINS横浜は、500円単位でしか買えないし。
第2レースではテレビもやってないですからラジオで観戦です。
スタート。ゲート試験何度も落ちてる馬ですから、
出遅れが心配だったんですけど、無事にスタート。
で、ラジオ聞いてる限りでは危なげ無く勝利!
藤沢厩舎、岡部騎手という事で1番人気に押し上げられ、
まぁ少しは期待していましたが、こうもあっさりと勝つとは!
物凄く嬉しかったんですけど、次の瞬間嬉しさが吹っ飛びました。
なんと!馬連33,080円!! もう、後悔しまくりです・・・。
総流しすりゃあ充分過ぎる程元が取れたのに・・・!
しかし唯一の救いだったのが、他のメンバーも馬券買って無かった事。
翌日、絶対会社でバカ扱いされて、自慢されるよ〜!
と思って出社してみたら、皆同じような理由で馬券購入していなかったのです!
なんてばちあたりな・・・。
★菖蒲ステークス
2戦目のダート戦を勝ち、3戦目は初の芝でのレース。
当日は安田記念もあり、何人かの仲間は競馬場に行ったのですが、
私は用事があって行けませんでした。馬券だけ買って、テレビで応援です。
この時はオースミジェットやヤシマジャパンが有力馬で、
結構名のある馬とのレースにびびっていました。
ところがシャトルはスローペースの逃げから、鞭すら使わず上がり34.2の脚を使い楽勝します。
しかしこの時には、同期のシーキングザパールやスピードワールドに勝てるとは、
これっぽっちも思っていませんでした。
唯一勝つとしたら、この時のレースみたいにスローペースの逃げに持ち込むしかないなぁと考えていました。
鞭を使わずに34.2の脚が使えれば、鞭を入れまくれば33秒代の脚が使えるだろうと勝手に想像し、
シーキングザパールもスピードワールドも追い込み馬だから、
2頭が牽制しあってくれれば逃げ切れるかもしれないと考えたのです。
でも、これはかなり都合の良い想像(妄想?)なのは自分でも分っており、
この2頭には逆立ちしても勝てないというのが、この時の正直な気持ちでした。
この頃から私は、競馬関係の本を立ち読みしたり、
買ったりするようになりました。
タイキシャトルの記事がどっかに載ってないか探す為です。
まぁ「競馬ブック」や「週刊GALLOP」のレース回顧は別として、
「ダービーを一生遊ぶ」とか「サラブレ」とかに、
シャトルの記事がないか探しはじめたのです。
この3連勝で、「ダービーを〜」に注目馬としてピックアップされた記事を見つけた時は、
何か自分の子供の事のように嬉しかったです。
そしてこのレースの直後に発売された「競馬フォーラム」を見てもっとビックリ!
何と芝のレースはその1戦、それもタイム的には平凡なものなのに、
芝レーティング84という破格の数値がついていたのです!
これホントに驚いて、仲間の人とも「間違いじゃねえの?」って話しになり、
思わず出版社に電話して確認した程ですから。
この時期から、完全に私のプライベートは競馬中心、
いやタイキシャトル中心に回っていきます。
★ユニコーンステークス
シャトルは菖蒲ステークス快勝後、続く菩提樹ステークスで初めて2着に甘んじてしまいます。
この時はダビスタで良くあるように、最初3、4連勝して、
後は泣かず飛ばずのパターンが頭をよぎってました。
シャトルは夏場を休養にあて、このユニコーンステークスで復帰します。
私が初めてシャトルを生で見たのがこのレースでした。小雨の降る中、出資仲間と府中へ。
メーンのユニコーンステークスはG3。
休み明け、16kgの馬体重増、メンバーは既にこの時重賞ウィナーのワシントンカラー、
NHKマイルカップ(G1)3着馬ショウナンナンバーなど。
「掲示板はあっても、勝つのはどうかなぁ・・・」という正直な気持ち。
そしてスタート。絶好のスタートを切り、いい感じでレースを進めるシャトル。
先頭から3、4番手で第3コーナーに。
レースのスピードが一気に加速した時、若干順位を落すシャトル。
「このままずるずる落ちてしまうのか?」と一瞬横切る不安。
さらに直線に入るとシャトルの前には壁が出来ているではないか!
ますます増す「あぁ、だめだぁ・・・。」の思い。
しかしシャトルは力強く壁をこじ開ける。
目の前を、後続に1馬身位の差を付けて走るシャトルが横切る。
そしてゴール!
興奮して雄叫びをあげる自分と他数名。
興奮を押さえられず、なおも叫び続ける。
あの日あの時、ターフビジョンの前で発狂している数名の集団を見かけていたら、
それはきっと私達です。因に馬券は惨敗でした・・・・。
この後、3才ダート三冠を目指すのかと思いきや、
シャトルは芝短距離路線に駒を進めます。
当時、ユニコーンS、スーパーダートダービー、ダービーグランプリがダート三冠と呼ばれ、
この3つのレースを制すると特別ボーナス(確か1億円)が支給される事になってました。
なのにあっさりと三冠コースを蹴って、芝短距離路線へと進んだので、
「えっ?何で?」と思ってしまいました。
まさか芝のG1で勝つとは思わなかったもんで・・・。